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横浜市南区の不動産会社栄都

大通り公園と横浜橋商店街

2012年4月8日 日曜日

昨日紹介した関内から地下鉄の駅でいうと阪東橋まで約1,200mに渡り続いるのが大通り公園。

地下鉄の駅で言うと…と書きましたが、ちょうどその下を全席優先席で有名な市営地下鉄が通っています。

現在の大通り公園は1978年(昭和53年)9月9日に開園しています。
開園といっても、長細いのと囲われていないことと地下鉄の上という感じで、あまり公園という感じではありません。

1978年といえば、高度成長期でまだまだ公共事業に市民のチェックも入らずどんどん予算を消化していた頃だと思います。
いかにも役人がつくったという臭いがします。
つまり、ベンチなどの什器や訳のわからない彫刻はとりあえずそろっているけど、市民の憩いの場になっていない…。

ありますよね。他にもそういう場所。官製の施設ってなんとも味わいが…乏しいです。
大通り公園に置く彫刻分の予算の一部を直角に接する「横浜橋商店街」に使って欲しかったです。

横浜橋商店街は、横浜のアメ横みたいな雰囲気が「あった」商店街でした。
現在では名残はあるものの、外国勢に押され気味。コリアタウンになりつつあります。

でも、横浜橋商店街の「売り」は今も昔も物価の安さ。
今日もそこでお弁当を買って食べました。お世話になってます。

人気の天丼のお店「豊野丼」はここ大通り公園に面していてちょうど横浜橋商店街の入口近くにあります。
隣接して2店舗ありますが、小さい方が本家のようです。

今の横浜があるのは、あるひとりの女性の・・・?

2012年4月2日 月曜日

私は横浜の小学校にわずか2学期しか在籍していなかったからか、横浜の小学生が必ず習うある人のとこに十年ほど前まで無知でした。

その人の名前は吉田勘兵衛(よしだ・かんべい)。今の、横浜の街があるのはこのかた(だけではありませんが)のおかげなのですね。

もともと、横浜の関内、中華街、横浜スタジアム、伊勢佐木町モール、そして阪東橋にある当社のあたりは入り海でした。

1656年(江戸時代)からこの地域の開発が始まりました。

開発は豪雨などで何度も挫折する難工事だったらしいです。

ここから先は言い伝えですが、
難工事ゆえに、職人は“海神様のたたりだ”と去っていく人も多くなったときの事、
勘兵衛は思案に暮れ「海神のたたりを鎮めるには、人柱を立てるよりない」と独りごとを言ってしまたようなのですが、それを聞いた下女

(召使い?)のおさんは人柱となり・・・つまり生きたまま…埋めたんですか?本当に?・・・のです。

その後は、どんな暴風でも堤は崩壊せず工事が進んでいき、今の街の文字通り地盤ができたのです。

その「おさん」は、人柱となった堰の位置にある日枝神社(ひえじんじゃ)に祀られていて、今でも毎年9月には日枝神社例大祭といった祭りでおさんへ感謝というか、鎮魂がされているのです。

横浜市大目の前≪ロイヤルビレッジ450≫

2012年3月11日 日曜日

今日大震災より1年目を迎えました。ちょうど1年前のこの日の事を思い返しています。

私は午後周辺の物件の調査に向かい外で地震を体験しました。揺れが長かったので取りあえず近くのマンションの駐車場に避難しました。その時ちょうどそのマンションの1階にあった会社の方たちも外に出てきて不安そうに立ち尽くしていらっしゃいました。私に気付いた社員の方が見も知らない私に「危ないから、もっとこっちにいらっしゃい」と手招きしてくれて1人で不安だったので、とても心強く感じました。横浜の下町「阪東橋」ならではの良さだと思います。

今日の賃貸マンションのご紹介は≪ロイヤルビレッジ450≫のご紹介です。

横浜ブルーライン「阪東橋駅」徒歩5分。市大病院の道路を挟んだ向かい側にあるスリムなマンションです。

現在募集中の部屋は5階5Aタイプ広い洋室が魅力です(38.10㎡) 洋室は17.8帖の仕切りの無い広々とした部屋で元々1LDKの間取りを広いワンルームにリフォームしたような造りです。小さなお子様がいても余裕のある広さです。

バルコニーも広く窓もたっぷり取ってあり、とても明るいお部屋です。

【住所】 横浜市南区浦舟町4-50

【構造】 鉄筋コンクリート造り 6階建

【築年】 1987年 5月

【設備】 バス・トイレ別 給湯 都市ガス エレベーター CATV 室内洗濯機置場

【賃貸条件】 賃料¥88,000 管理費なし  礼金1ヶ月 敷金2ケ月  保証会社加入要

お問い合わせお待ちしております!